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映画「雪の下の炎」を観ました。

前回のエントリー引き続き、3/13(金)に行ってきました映画「風の馬」「雪の下の炎」プレミア上映会のことを書きます。
(※この2本は4月11日より順次全国で公開です)

今回は「雪の下の炎」について。

映画『雪ノ下の炎』
33年間の拷問と投獄、チベット僧パルデン・ギャツォの不屈の精神を描いたドキュメンタリー映画『雪の下の炎

第1回チベタン・フリーダム・コンサート、ビースティ・ボーイズ、ビョーク、オノ・ヨーコら豪華ミュージシャンとともに一人のチベット僧が平和を訴えた。中国軍の侵攻に対しチベット民族が蜂起した1959年に、平和的なデモを行ったという「罪」で投獄されたチベット僧パルデン・ギャツォである。想像を絶するむごい拷問を受けながら33年間を生き抜き、非業の死を遂げた同胞のため、現在も闘い続ける。

この映画は、パルデン・ギャツォの苦悩の人生を通してチベット問題を浮かび上がらせると同時に、人間が持つ精神の計り知れない可能性を私たちに見せつける。

チベットに人権など存在しません。
私がその生き証人です。

28歳のときに捕えられ、61歳まで投獄され拷問に耐えたチベット僧のドキュメンタリーです。
33年ですよ。人生の一番良い時期を獄中で過ごさねばならなかったのです。しかも罪を犯したわけでないのに!
つらく、耐え難い拷問に耐えてきた苦労が深い皺に刻まれているようです(上の映画のポスター参照)。

しかし、この映画はつらい拷問や暴力といった痛々しさだけでなく、それ以上にどんな暴力にも屈しない力強さを強く感じます。
幼少時代から僧院での生活、投獄、拷問。淡々と当時のことを話すパルデン・ギャツォ。しかし、時折見せる少年のような無邪気な笑顔が、さらに暴力や不幸な出来事に屈しない精神力の強さを感じます。

途中涙が出たシーンがありました。

獄中で仲間から言われた「もし君がこの苦難を生き延びたら、チベットのために闘ってほしい」という言葉は決して忘れない。「この年齢になってもまだ闘い続けるのは、非業の死を遂げた彼らのため」パルデンは、現在も世界各地を訪れ、チベットの平和を取り戻すために活動している。

獄中で死んでいった同胞のことを話すとき感極まってパルデン・ギャツォが涙を流す場面があるのですが、ここには心が痛くなりました。

パルデン・ギャツォは今でも時折海外にもあしを運んでフリーチベットを訴えているそうです。
パルデン・ギャツォの闘いはまだ続いています。

自由を奪われ、過酷な運命に晒されながらも、チベット仏教の慈悲の心を常に持ち続ける力強さに圧倒される映画でした。

チベット問題に興味が無い人にもぜひ観てもらいたい一本です。

4月11日より順次全国ロードショーされるようです。

映画『雪ノ下の炎』

カテゴリー: チベット タグ: ,
  1. 2009 年 4 月 4 日 14:48 | #1

     中村元教授の東洋人の思惟方法という文献がある。
    インド人、チベット人、シナ人そして日本人とそれぞれの文化的背景から特徴がある。
     シナは有史以来その文明の特徴として、実際的であり膨張主義てきである。つまり中華とは、大鍋の雑炊のような文化である。揚子江流域にはタイ系の人種がすんでいた。越族もその人種である。漢人はこれらの未開地に入植し現地人を同化または
    侵略することにより、中華文明を築いていった。
     商も血塗られた文明である。有史以来膨張は漢民族の特徴である。第2次世界大戦以後もシナはその領域を拡大した。
     旧満州やチベットである。
    思えば、天台大師の時代も戦乱の耐えない時代であった。
    どんぐりを食べながら、生命をかけて天台教学の基礎は作られた。『摩訶止観』や『円頓章』である。
     チベットは今、中国共産党の圧政に苦しみ耐えている。
    まさに、世界の理性は何処にあるのか、人類の正義が問われている。延長線で言えば、台湾問題や尖閣問題、南砂列島、ウイグル問題、少数民族問題である。
     チベット仏教はまさに死をもって、人類に至誠とは何かを問うている。
     
     『雪の下の炎』の著者の顔、何か山本玄峰老師に似ている。
    白隠禅師の再来と言われ、鈴木貫太郎氏と共に日本の敗戦処理の精神的支柱となった。
     アジアでは、李登輝氏やダライラマは歴史に残るであろうが、中国共産党は残らないであろう。
     それだけ、今の中国は人類にとって厄介な存在である。

  2. 2009 年 4 月 4 日 14:53 | #2

    中村元教授の東洋人の思惟方法という文献がある。
    インド人、チベット人、シナ人そして日本人とそれぞれの文化的背景から特徴がある。
     シナは有史以来その文明の特徴として、実際的であり膨張主義てきである。つまり中華とは、大鍋の雑炊のような文化である。揚子江流域にはタイ系の人種がすんでいた。越族もその人種である。漢人はこれらの未開地に入植し現地人を同化または
    侵略することにより、中華文明を築いていった。
     商も血塗られた文明である。有史以来膨張は漢民族の特徴である。第2次世界大戦以後もシナはその領域を拡大した。
     旧満州やチベットである。
    思えば、天台大師の時代も戦乱の耐えない時代であった。
    どんぐりを食べながら、生命をかけて天台教学の基礎は作られた。『摩訶止観』や『円頓章』である。
     チベットは今、中国共産党の圧政に苦しみ耐えている。
    まさに、世界の理性は何処にあるのか、人類の正義が問われている。延長線で言えば、台湾問題や尖閣問題、南砂列島、ウイグル問題、少数民族問題である。
     チベット仏教はまさに死をもって、人類に至誠とは何かを問うている。
     
     『雪の下の炎』の著者の顔、何か山本玄峰老師に似ている。
    白隠禅師の再来と言われ、鈴木貫太郎氏と共に日本の敗戦処理の精神的支柱となった。
     アジアでは、李登輝氏やダライラマは歴史に残るであろうが、中国共産党は残らないであろう。
     それだけ、今の中国は人類にとって厄介な存在である。

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