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日本語じゃない言葉でなぜ歌う?

拝むように弾いてくれ: 答えは吹き行く風の中にあるんだよ、マイ・フレンドを読んだ。おもしろかった。
で、僕が何で英語で歌うのという問いについてどう考えてるかというと、とくに何も考えてない。
たしかに不自然に英語が入るヘンなやつもある(昔は多かったような気がする)が大半は「そういうものだからいいんじゃね」と思っている。

僕なりに考えたことを書いてみる。

日本語ロック論争ってあったよね

読んでてふと、そういえばむかし日本語ロック論争ってあったよね、と思い出した。

今じゃ考えられないけど、
「ロックは英語で歌うものだ!」
「いやいや日本語でも表現できるんだ!」
なんて真剣にやりあってた時代があったわけです。

日本にロックが「輸入」されて、「ロックかっこいい!」「俺もやりたい!」って人がストーンズとかビートルズのマネからはじめて、「ぼちぼち自分たちのオリジナルやりたいよ」となったとき、この壁があったんだと思う。

当時は、

  • 「日本語には言語自体に英語のようなリズムやアクセントの強弱が無い」
  • 「主語・名詞・(形容詞)・動詞という言語の構造なのでロックには不向き」

なんて事が真剣に言われていたようです。
なので、当時(70年頃)はいろんな試行錯誤が行われました。
はっぴいえんどが「~です」「~ます」といった歌詞で日本的な風景や心情をロックにのせることに成功したのもそのひとつ。(※はっぴいえんどだけが成功してたわけではないです。同時代の人を聴くと分かりますがそれぞれいろんな試みで日本語ロックの実現に成功しています)

同じようなことがありました

何で僕がこんな昔のリアルタイムで体験してない事をほじくり返してるかというと、同じような経験をすごく鮮明におぼえているわけです。

中学生になったばかりの頃、はじめてラップを聴いたときのことです。
まだ日本でラップやる人がいなくて(てかまだ海外でもあんまりいなかったと思う)、

  • 「これは日本語ではムリだ」
  • 「日本語でできるリズム感じゃないな」
  • 「日本語でラップやってる人もいるけどかっこわるいし」
  • 「こりゃダメだ。あきらめよう」

みたいなことが言われてました。
「日本語ロックはなんとかできたけどラップは絶対ムリだね」ということが常識のように言われていたのです。中学一年生の頃の僕も「へー、やっぱりそうなんだ」とおにゃんこクラブと給食のことしか考えてない頭脳で納得してたわけです。

でもいつの間にかいろんな人が研究して今のように普及していきました。
日本語ロックはの経緯とおなじじゃんとだいぶあとになってから思ったわけです。
で、文化や言語の壁があるものを飲み込んで血肉にして自分たちの表現にするのってたいへんだなーと思ったわけです。

音楽的に分析してみたよ

ラップを例にします。
自分で音楽をやるようになって分かったのですが、

  • 日本語の会話を譜面にしてみるとほぼ4部音符
  • 英語は二分音符、四分音符、八分音符と多彩
  • (つまり英語はいろんなリズムをつくりだせる)
  • 日本語の音程差は4度ほどしか高低差がなく平坦
  • 英語は1オクターブ以上も一気に変化することがある

日本語のはなし言葉を譜面にしてみたら以上のようなことが分かった。
言語の性質の違いですね。
最初期の日本語ラップは念仏か都々逸(どどいつ)みたいでかっこわるかったのはこのためです。
でも今では「日本語のラップ」として独自の進化をしてるんじゃないかなと思います。

  • 英語のように子音母音でリズムやタメをつくるのではなく言葉の音数や単語の伸ばし方でリズムをつくる
  • 言葉の選び方で連符にも対応(英語や外来語が入ることが多いか?)
  • 単語のはじめの部分と終わりの部分にアクセントを入れる

などといった手法が出来ていろんなひとが実施することで精度もあがってきたのではと思います。

一番の問題だったライム(= 韻)についても、

  • 英語・外来語をフレーズの最後にいれて韻を踏む
  • (フレーズの最後にリズムや変化を持たせるためという意味もあるかも)
  • 日本語の場合は語尾が似たもので体言止めという単純な押韻
  • 韻ではなくだじゃれ的に言葉をあわせることもアリ

といったことでクリアしてるんじゃないかな、と思います(間違ってたらすみません)。
クリアしてない点もあります。
たとえば、

  • 複数の単語と単語をつないで押韻するとか
  • リズムの端々で押韻するとか

このような日本語ではありえないテクニックの壁もいつかは軽々と飛び越える日本のミュージシャンが現れるかもしれません。

何が言いたいかというと

音楽とか歌とかって文化だから、それをカッコイイと思った人の表現や試行錯誤でどんなようにもカタチを変えるものなんだなー、と思ったわけです。
で、何で英語で歌うのか?については、その音楽の持つ表現したい雰囲気であったり、言語や音の問題ってのが原因としてあるんじゃないかと思う。
「ロックっぽさやブルーズっぽさやラップっぽさのかっこよさを自分で体現したい!」ってのと「自分の考えるオリジナリティを表現したい!」ってのがぶつかった結果じゃないかと。

てかあんまり僕は英語のっけちゃうことに違和感感じなくなってるので「まあいいんじゃねえかねえ」としか言えない。









でもクイーンの唐突な日本語歌詞にはやっぱりびっくりするね(03:00くらいのところ)

カテゴリー: 雑記, 音楽 タグ:
  1. 2011 年 9 月 6 日 17:28 | #1

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